わろてんか キースのモデルとは?実在するのか?

わろてんか キースのモデルとは?実在するのか?

わろてんかはNHKの連続テレビ小説で今秋10月から始まりましたね。

笑いをテーマに楽しい内容になっていますが、キースという役にはモデルとなった人物がいるようです。

それは一体誰なのでしょうか?わろてんかの見どころと共に実在の人物についてみていきたいと思います。


わろてんかのモデル

まずは、朝ドラわろてんかの主役のモデルになった人をみてみましょう。その方は吉本興業創業者で女性興行師の吉本せいさんです。

今作は、明治時代後半から第2次世界大戦直後の大阪が舞台となります。

小さな寄席経営を始め、日本で初めて”笑い”をビジネスにした女性の奮闘ぶりを描いた物語です。

わろてんかキースのモデルは横山エンタツさん

重要な役どころとなっていくキースですが、モデルになった人物は横山エンタツさんです。

この人は「漫才をつくった」といえる、お笑い界にとってはとても重要な人物なんです。

一体どんな人なんでしょうか?


横山えんたつさんのこれまで

職を転々としていたエンタツさんは19歳の頃にある一座に入ります。その一座でなんと朝鮮や満州まで巡業に行っていたそうです。

その後はコンビを組んで主に東京で「万歳」で活躍しますが、やがて自分で一座を組んでアメリカへ巡業をしに旅立ちます。

残念ながら興行は失敗してしまうようです。ところがエンタツは失敗してもまだあきらめずにチャップリンの喜劇に感銘を受けその後の芸に大きく役立てることになります。


コンビ結成をし現在の「漫才」を作る!?

その頃の大阪では吉本に所属する花菱あちゃこが大人気でした。そんな彼に見合う相方を探していたところ、エンタツに目をつけた吉本はスカウトし、こうして二人は出会い、「エンタツ・アチャコ」の名コンビの誕生となるのでした。

二人は新しい笑いのスタイルを模索し、アメリカで影響を受けたエンタツはこれまでの和装とは違い洋装で舞台に出演することを提案してそれが今でいう、「しゃべくり漫才」として誕生し、大人気になるのです。

ここで、今や定番のしゃべくり漫才が誕生したんですね!まさにこの二人がいなければ今のお笑いのスタイルはなかったかのしれませんね。

万歳と漫才の違いって?

それまでの万歳は和装で太鼓囃子などを用い、相方を叩いたり、滑稽な動きで笑わせるのが普通でした。
一方、二人がやった「漫才」は、モダンな洋装で鳴り物も唄もなく、日常生活をもとにした身近な話題で観客を笑わせる、というもの。

現在では当たり前のスタイルですが、当時は珍しいものでした。

ちなみに「漫才」という名前は吉本興業が付けたもので、その後二人の人気を聞きつけたラジオ局からオファーがあり、あっという間に全国に知れ渡ることになり、現在の漫才が確立されていったんだそうです。

エンタツ・アチャココンビ結成後は

当初、落語界では漫才は低くみられていましたが、やがて落語界から乗り換える人たちが現れるほど漫才は人気ジャンルとなっていきました。

そこまで、漫才を大きくしていくことに成功した二人でしたが、二人でのコンビ活動は以外と短くわずか4年ほどだったそうです。

アチャコが病気にかかり無理をして舞台にたっていたことから病状が悪化してしまい長期療養することになり、そこでエンタツは他の芸人とコンビを組むことになり、その後も二人がコンビで再び漫才を披露することはなかったそうです。

しかし二人の共演を再び望む声が多く、その頃流行っていた映画出演でその声にこたえたそうです。

その後はお互いに40年近く別々ではありますが活動を続けていたそうです。

漫才が出来たきっかけに大いに活躍した二人でしたが、漫才が出来たきっかけにはこんな物語があったのですね。

わろてんかのキース役どころ

藤吉(松坂桃李)やリリコ(広瀬アリス)と同じ旅芸人一座で育った芸人仲間。メガネがトレードマークで頭の回転が早く、とっさに働く鋭い知恵を持ち、海外文化などの知識も豊富なインテリ芸人。

本人にまったく悪気はないが、たびたびトラブルを起こし、 藤吉やてん(葵わかな)に迷惑をかけてしまいます。のちにアサリとコンビを組んで、古い万歳を革新し、いまの漫才に通じる「しゃべくり漫才」を生み出します。

わろてんかのあらすじ

ここでドラマのあらすじを改めてご紹介します。

京都の老舗・薬問屋に生まれた藤岡てんは、厳しい祖母、カタブツな父、おっとりしていて我が道を行くマイペースな母の元で育った。

ギャグ好きな兄・新一のギャグに笑い上戸のてんはいつも大笑い。そのたびに商談を台無しにしてしまい、とうとう父から笑い禁止令が下された。

ある日「笑いは人を幸せにする力があるクスリや」と教えてくれた大阪船場の米穀商の息子・北村藤吉にてんは恋をした。

しばらくすると、てんの父が先物相場の失敗により、店が危機に陥る。その時てんは、父を笑わせて自殺を考えていたほどの父に元気を取り戻すことができた。笑いには力があることを再認識したてんは、藤吉との結婚を決心するのだった。

かけ落ち同然で藤吉と結婚したてんは、姑のいびりも笑顔でかわし、子宝にも恵まれる。夫に代わって商売も切り盛りするが、芸事の好きな藤吉の芸人遊びが原因で店を手放すことに。そこでてんは、藤吉の好きなその笑いを商売にしてみませんか?と提案。

てんは再び敷居をまたがないと決めた京都の実家に頭を下げて借金をし、安値で寄席を買い取り、夫婦二人三脚での必死の寄席経営が始まった。

てんと藤吉は知恵を絞りに絞って、寄り席経営をしながら副業を多様化するなど、さまざまな努力を重ねていく。

芸事の好きな藤吉は新感覚の芸人をどんどん発掘し、漫才師に落語家などひと癖ある面白い面々が2人の周りに集まってくるのだった。

そして2人は「大阪を笑いの都にする!」という夢を実現していった。「笑いの都」が完成するのを目の前に、藤吉が他界。

てんは夫に代わって”北村商店”社長となり、20館以上の寄り席を経営。”お笑いのお母ちゃん”と呼ばれ、その時には300人以上の芸人を抱えていた。

その頃戦争の暗雲が押し寄せ、芸人たちは次々に招集され、てんの長男も戦地に行くことになった。

何とか笑いを守ろうとするが、終戦間際の大阪空襲により寄り席は全て焼けてしまい、戦地へ行った芸人のほとんどは帰らぬ人となり、「笑いの都」は消滅。

その時てんは「笑いには人を救う力がある」と、原点に返った。てんは人に笑いを取り戻させようと再び立ち上がるのだった。

わろてんかのみどころ

見どころは、てんと藤吉がどんなふうに小さな寄席経営から「笑いの都」を作り上げていったかになると思います!

そして藤吉と死に別れた後のてんの生き方がとても興味深く戦争で全てを無くし原点に立ち返ったてんが、どうやってまた人々に笑いを取り戻していったのか・・。

今の吉本興業の原点を知ることができる作品になっているといえます。

「笑いには人を救う力がある」という言葉がとても印象的ですよね。どのようになっていくのか展開が楽しみですね。

最後にわろてんかのキース役について詳しく調べてみましたが、今や当たり前に観ている漫才も過去に二人が活躍したことにより今のスタイルが確立されていたなんて改めて漫才の歴史に興味がわいてきましたね。

ドラマ内ではどのように描かれていくのか楽しみですね。

わろてんかのキースの実在モデルは?についてでした。

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